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仙台地方裁判所 昭和57年(ワ)1667号 判決

原告

三浦義一

右訴訟代理人弁護士

増田隆男

吉岡和弘

被告

有限会社マルヤタクシー

右代表者代表取締役

山口二郎

右訴訟代理人弁護士

菅野敏之

菅野美穂

主文

一  被告は原告に対し金二三八万円とこれに対する昭和五七年一二月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

ただし、被告が金一五〇万円の担保を供するときは、右執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金二四七万三五〇〇円とこれに対する昭和五七年一二月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は、一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー事業)を主たる業務とする有限会社であり、原告は、昭和五四年二月一日被告と雇用契約を締結し、タクシー運転手としてその労務に従事していた。

2  原告の私傷病休職と被告による復職拒否

原告は、昭和五五年二月二一日から脳血管障害性運動不全麻痺症の療養のため被告を休職し、同年五月二一日から東北大学医学部附属病院脳神経内科において通院治療、さらに同年一〇月三一日から同年一二月二日までの間同病院に入院のうえ検査、治療を受けていたところ、右疾病も治癒したことから、同年一二月四日、原告の診断、治療にあたった同病院脳神経内科医師伊藤久雄の作成にかかる「症状軽快し従来の仕事に復帰可能となったことを証明する。営業自動車タクシー運転可能である。」旨の診断書を添えて復職を願い出たが、被告はこれを拒否し、原告の就労の提供を受け容れず、賃金も支払わない。

3  復職拒否の違法性

被告の就業規則二八条には、従業員の復職につき「私傷病休職、業務傷病休職、通勤災害休職の場合は、会社の指定する医師、または病院の治癒を証明する診断書が提出され、会社が就業可能と認めたとき」原則として復職させる旨を規定しており、同規定を常識的に解釈すれば、就業可能という被告の判断は、基本的には指定した医師または病院の判断に制約を受けることとなり、また被告の側で医師または病院の指定をしないということは予定されていないというべきである。

ところで、原告が被告に対し復職の申し出をなすにあたっては、前記のとおり専門医による「営業自動車タクシー運転可能である」旨の診断書を提出していたのに対し、被告はこれを無視し、他に診断を受けるべき医師や病院も指定しないまま原告の就労を不当に拒否したものであるから、被告は原告に対し民法五三六条二項により後記の賃金債権を支払う義務がある。

4  賃金債権

原告の休職前三ケ月間の平均賃金は月額一四万五五〇〇円であるところ、原告は昭和五七年五月三一日をもって被告を退職する旨意思表示したから、原告が被告に対し請求できる賃金債権は原告が復職の申し出をした翌月である昭和五六年一月から右退職した同五七年五月までの一七ケ月分合計金二四七万三五〇〇円となる。

よって、原告は被告に対し、未払賃金二四七万三五〇〇円とこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五七年一二月七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2については、原告の疾病が治癒したとの点を否認し、その余は認める。

3  同3については、被告に原告主張の就業規則の規定があること及び原告が復職の申し出をなすにあたってその主張のとおりの診断書を提出したことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  同4は、原告が昭和五七年五月三一日をもって被告を退職する旨意思表示したことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  被告の主張

被告は、復職願い提出時の原告の病状の程度、内容、経緯等から原告が「就業可能」とは認められない状態にあると判断し、復職を拒否したにすぎず、右復職拒否は正当なものである。

即ち、原告は、復職の申し出に際し診断書を提出してきたが、同診断書には病名欄に「脳血管障害性運動不全麻痺」との診断が下され、右疾病が完治したとまでの判断は下されていなかった。しかも、病状の経緯を示す摘要欄には「病状軽快」との判断が示されているのみで、軽快の内容が全く明らかにされておらず、原告の運転業務に必要な左右の握力の回復程度も摘示されていないなど(原告のカルテによれば、原告の退院時の握力は、右が三〇キログラム、左二七キログラムという中学校一年男子平均程度のものにとどまっていたから、道路交通法及び政令に基づく第二種免許の保有資格である二一才以上の者の知力、体力に欠けるものであった。)不自然、不完全なものなのであって、被告としては、右診断書に基づき原告に就労を認めることは到底できないことであった。現に被告が本訴訟で取寄せた記録によれば、原告は、復職申し出後も東北大学医学部附属病院及び鈴木内科医院で治療を継続し、頭痛、左膝脱力、咽頭痛、睡眠障害、頂頭部痛、下肢脱力、左頸部痛、肩痛、左頭痛等の症状を訴えていたことが判明しており、この点からしても被告による復職拒否の措置が正当であったことは明らかである。

四  被告の主張に対する原告の反論

原告の提出した診断書が不自然、不完全なものであったとの主張は否認する。

第三証拠

本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  請求原因1及び2の事実は、原告が被告に対し復職を申し出た時点で疾病(脳血管障害性運動不全麻痺)が治癒していたとの点を除いて当事者間に争いがない。

二  そこで、以下被告の原告に対する復職拒否の適法性について検討する。

1  私傷病休職中の従業員の復職に関しては、原告主張の内容のとおりの規定が被告の就業規則(乙第四五号証)中にあることは当事者間に争いがなく、同規定によれば、右復職は、原則として、被告の指示する医師または病院の治癒を証明する診断書が提出され、被告が就業可能と判断したときに認められるとされている。したがって、同規定のうえからは、従業員の復職は治癒を証明する診断書の提出に加え、被告の就業可能との判断がその一要件となっており、従業員から治癒を証明する診断書が提出されたとしても、被告が就業可能と認めないかぎり、右復職要件は充たされないこととなる。

2  しかしながら、同就業規則によれば、私傷病休職の場合、休職期間中は無給で、勤続年数にも算入されず(二六条、二七条)、また特に、休職期間(原則として最長一年)満了後もなお休職事由が消滅しないときは従業員は当然退職したことになるとの効果が付与されていること(二四条、三〇条)が認められ、被告による休職事由の消滅の有無に関する判断(就業可能か否かの判断)が従業員の身分に決定的な影響を及ぼしうる結果となっていることに鑑みると、被告は、従業員が復職の際提出してきた専門医による診断書の内容を原則として充分尊重すべきであり、仮に治癒(復職可能)を証明する適正な診断書が提出されたにも拘わらず被告において従業員の復職を拒否する場合には、提出された診断書の内容とは異なる判断に至った合理的理由を従業員に明示すべき義務があり、右合理的な理由の明示を怠ったまま従業員の復職を一方的に拒否した場合には、従業員は復職の申し出をなした時点で当然復職したものと解するのが相当である。

3  そこで、本件復職拒否の状況について検討してみると、前記当事者間に争いのない事実に、(証拠略)、原告本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  昭和五四年一二月四日、原告は、入院先であった東北大学医学部附属病院脳神経内科医師伊藤久雄の診断書を添えて被告に復職を申し出た。

(二)  伊藤医師は、入院中の検査結果等に基づき、右診断書の病名欄に「脳血管障害性運動不全麻痺」、摘要欄には「右病名にて入院精査加療中であったが症状軽快し従来の仕事に復帰可能となったことを証明する」との診断結果を記載していたところ、同診断書の提出を受けた被告は、他の診断医もしくは病院を指定するような措置を取らないまま、原告に対しタクシー運転が可能であるか否かが診断書に明記されることを求め、原告から被告の意向についての説明を受けた伊藤医師は、その点に関しても従前の記載で充分と考えたが、念のため同診断書の摘要欄に「営業自動車タクシー運転可能である。」との文言を追加記載して原告にこれを再度交付した。

(三)  ところが、被告はこれによっても右診断書からは原告の疾病が全治したとは認められないとして被告の復職を拒否したため、原告は伊藤医師にさらに詳細な診断書の作成を求めた。

(四)  そこで、伊藤医師は、原告の復職が可能であるとの自己の診断を明らかにするため、昭和五五年一二月一八日付けで新たな診断書を作成し、病名欄には「脳血管障害性運動不全麻痺」と記載し、その摘要欄に「昭和五五年二月一七日昼頃立ち上がろうとして瞬間的によろける、半月後、頭重感出現し九月頃まで続く、六月頃から左下肢の脱力に気付く、一〇月三一日精査のため当科入院、CTスキャン、脳血管撮影で異常なく脳波も正常、入院加療したところ症状軽快し、退院時には神経学的に異常が認められず治癒と判定され後遺症も認められない、営業自動車タクシー運転可能である」と記載して原告に交付し、これが被告に提出されたが、被告は、右診断書の病名欄に「脳血管障害性運動不全麻痺」との記載がある以上原告が全治したとは認められず、同診断書摘要欄の「治癒と判定され後遺症も認められない」との記載は病名欄の記載と矛盾し信を置きえないとして原告の復職を拒絶し、原告からの診断医を指定して欲しいとの申し出にも応じなかった。なお、被告は、直接伊藤医師に対し、原告の健康状態や矛盾する内容が記載されていると判断した右診断書の内容について照会することもなかった。

4  前項の認定事実によれば、被告は、原告の復職申し出に対し、自らは診断医もしくは病院の指定をしないまま、原告から提出された診断書の病名欄に病名が記載されていることのみを理由に、原告が全治したものではないとしてその復職を拒否したことが認められ、本訴訟においても被告は、診断書の病名欄に病名が記載されている以上右診断書からは原告が全治したとは認められない旨強く主張している。

しかしながら、被告の主張するような診断書の解釈方法は一般的には首肯し難いものであるし(なお、右診断書の作成者である伊藤医師は、右病名欄の記載は通例にしたがい事後の健康管理に資するため診療経過中の病名を記載したものである旨証言している。)、右診断書の摘要欄には詳細な理由を付したうえで原告の疾病が治癒し後遺症もないこと、したがってタクシー運転も可能である旨の診断が明記されていて、同診断書が原告の復職を相当であるとする趣旨のものであることは一見して明らかなものとなっており、しかも、同診断書は、原告の疾病を検査、治療する目的で入院した国立大学の附属病院に所属する専門医という高度の信頼を置きうる機関の判定のもとに作成されたものであることをも考慮すれば、被告において、就業規則に則り他の診断医等を指定したり、あるいは直接伊藤医師に診断内容を照会するなど原告の健康状態に関する合理的な資料の獲得を怠ったまま専門医の診断結果を排斥し、原告の復職を拒否した前記措置は、前述した復職拒否における従業員に対する合理的理由の明示という要件を欠いた違法、無効なものと解さざるをえない(被告も主張するとおり、原告の労務内容は、営業タクシーの運転という高度の安全性を要求される職種であり、それだけに原告の復職の可否については被告において努めて慎重な判断が要求されることは当然のこととして理解できるのであるが、それだからといって、原告から提出された専門医による復職可能である旨の診断書を他に合理的な資料の獲得を怠ったまま一方的に無視することが許されるわけではない。)。

5  また、被告は、本訴訟における取寄記録により、原告は復職を申し出た後も治療を継続していたことや、原告の東北大学医学部附属病院退院時の握力が中学校男子一年平均程度のものにとどまっており、法律が第二種免許の保有基準としてあげている二一才以上の者の体力という要件を充たしていなかったことが明らかになったとして、被告の復職拒否は結局正当なものであった旨主張しており、(証拠略)によれば、原告の右退院直後の握力は右三〇キログラム、左二七キログラムであったこと、さらには、右退院後も原告が被告の主張するとおり東北大学医学部附属病院及び鈴木内科医院に通院し、投薬を受けていた事実が認められるのである。

しかしながら、(証拠略)に照らすと、右通院治療の事実が原告の復職を不相当なものとするまでの事実を立証するに足りるものとは到底認め難いし、また握力の点についても、これが営業用タクシー運転を不相当とする程度のものとは断じ難いのであって(被告は道路運送法に基づく政令により運送事業用自動車の運転者の要件として、年令が二一歳以上であることが定められていることを理由に、営業用タクシー自動車の運転者は二一歳以上の「体力」が要求されている旨解釈、主張するが到底採用しえない解釈である。なお、近時とみに増加傾向の顕著な女性のタクシー運転者の体力という観点に立って考えると、〈証拠略〉によれば、高校三年生女子の握力の平均は三〇キログラム前後であることが認められる。)、この点に関する被告の主張も採用しえないものである。

6  以上のとおり、被告の本件復職拒否は、原告への合理的理由の明示を欠いた違法、無効なものと解すべきであるから、原告は、復職の申し出をした昭和五五年一二月四日以降当然に復職したものと認められ、被告の復職拒否を原因とする不就労期間について、民法五三六条二項に基づき後記賃金債権を請求しうるものとなる。

三  (証拠略)によれば、原告の休職前の平均取得賃金は月額金一四万円を下らないことが認められ(なお、右金額は原告の昭和五四年八月から同年一〇月迄の三ケ月間の取得賃金を基礎に算出したものであるが、原告本人尋問の結果によれば、原告の休職直前にあたる昭和五四年一一月から翌五五年一月迄の期間は、被告と被告の従業員組合との間で賃金の支給基準をめぐり労働争議が発生し、原告においても正常な勤務に就くことができなかったことが認められるから、それより以前の前記三ケ月間の取得賃金を基礎に原告の平均取得賃金を算定するのが相当である。)、また原告が昭和五七年五月三一日をもって被告を退職する旨意思表示したこと及び原告は昭和五六年一月分以降右退職時まで賃金の支払いを受けていないことはいずれも当事者間に争いがないから、原告は被告に対し、昭和五六年一月から同五七年五月分までの賃金として合計金二三八万円の支払い請求権を有することとなる。

四  以上の次第であるから、原告の本訴請求は、金二三八万円とこれに対する履行期の後である昭和五七年一二月七日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余の部分は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行及びその免脱の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 光前幸一)

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